日: 2011年4月13日

復興構想会議

 政府の主催する復興構想会議のメンバーになってしまった。公的な会議のメンバーになった以上、この「雪月花」の役目は終わり、という考え方もあるかもしれない。
しかしそれでは実質上、口封じみたいなことになってしまう。総理もそんなお考えではないだろうから、ここでの報告や主張は続けることにしたい。
 第一回会合は14日午後2時から開催される。
 お葬式が立て込んでいるが、友引の日でよかった。
 それにしても、あまりに強い余震は身心の弱い方にはことのほか堪えるようだ。うちの檀家さんにも玄関前が地割れし、もう恐ろしくて恐ろしくて倒れた本棚を直す気力もない老夫婦がいる。買い物にも行けず、身心が弱っているのは誰の目にも明らかである。救援のために友人から送られた食品を女房が持っていくと、涙ぐんで喜んでくださるのだ。
 ところで「余」震と呼ぶ以上、最近のはすべて3・11の残りみたいな認識らしいが、これが今後のもっともっと大きな地震の「予」震でないと、誰が言えるだろう。
 中越沖大地震を予告した地震学者が、次に予測したのは茨城沖震源の地震だった。
そういえば3・11以後、震度4以上の地震の震源分布を見ると茨城県沖が最も多い。また3・11以降、震源地が次第に南下してきているような気もする。
 想像を絶するほど大きな地震が来ても、東海村は大丈夫なのか。
 この問題はそういうふうに考えなくてはならない。
 全国あちこちの知事選ではどこも原発容認派の現職が勝利したようだが、その地域ではいったい、この震災と原発事故から何を学んだのだろう。もっと安全装置を万全にすればいい?
 電源のバックアップももっと完全にすればいい?
 ならば、それも壊すほどの巨大地震に対してはどうするのか?
 もっともっともっと強力にすればいい?
 ははぁ。つまり彼らはこれまでどおり人間の考える「万全」や「完全」が、自然に勝てると思っているのである。ならば自然よ、もう一度、いや、何度でも吠えるがいい。恐ろしいけれど、我々の意識を変えるためには、もっともっともっともっと強い地震が必要らしい。できれば自然よ、もうすっかり意識が変わり、作業員たちが必死に戦っているこの辺りでなく、もうちょっと南や西の、原発地域で吠えてくれたらありがたい。
 こんなことを書くと、復興構想会議から外されるだろうか?
 しかしこの国は、臓器移植が不自由な状態でさまざまな根本的医療方法を編み出したように、原子力が不自由な状態でこそ今世紀の世界を牽引する発電技術を編みだすはずである。
 少なくとも、福島県人の意識はすでにそんなふうに変わっている。
 今晩始まる少年からの臓器移植と、原発容認派の知事の当選は、私のなかで強力にリンクしている。どちらも時代遅れの欲望の技術化なのだ。
 世界は東北地方から、「明るい諦め」を学びつつある。
 日本だけがまだそれを学ぼうとしない。