日: 2025年1月1日

能登半島地震一周忌

新年明けましておめでとうございます。
「令和6年能登半島地震」から一年が経ちます。しかし今尚復興は緒についたばかり。更に9月には豪雨もあり、そのダブルパンチは強烈でした。恰度、福島が震災のあとに放射能汚染に追われた状況も憶いだしました。
 線状降水帯という言葉にはもう慣れましたが、去年はそのほかに「内水氾濫」や「遠隔豪雨」など、また新たな気象用語にもお目にかかりました。自然はじつに荒々しく、辰(龍)が暴れて人間の手に負えないことを痛感する年だったように思えます。
 さて今年は、乙(きのと)巳(み)の歳です。内部から芽生えた革新の芽が、旧勢力に圧されて曲がりなりにもなんとか伸びる年回りです。というか、今年のうちに悪弊にケリをつけないと、来年は更にややこしい丙(ひのえ)午(うま)が待っています。いわば新旧がっぷり四つでの戦いになってしまいます。何としても今年のうちに悪弊を絶っておかなくてはいけないのです。
 歴史的にも、乙巳は重大な変化を確定してきました。たとえば1905年、前年に始めた日露戦争に賢明にもケリをつけ、なんとか勝利をもぎとりました。また徳川家康公が息子の秀忠に将軍職を譲ったのも1605年、乙巳の歳でした。更には1185年、源頼朝が壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、守護・地頭による鎌倉幕府を築いたのも、645年の「大化の改新」も同じく乙巳なのです。
 こうした大きな変化の裏には、じつは大きな自然災害があったことも忘れてはならないでしょう。「方丈記」にも描かれた文治の大地震はその典型です。平安から鎌倉へ、という信じられないほどの変化が起きたのは、機能不全になった都に運ばれる食料などを山賊などが襲い、そこで武士たちが治安維持に活躍した、という状況が大きかったようです。
 内憂外患の今の世の中、石破内閣は年末に中国人の入国を緩くする措置をとったようですが、果たしてこれが中国の脅威を下げる方向にはたらくのか、どうか、注視したいところです。
 福島県民としては、放射性廃棄物の処分をめぐり、安倍政権でも岸田政権でも手つかずだった省庁横断の会議が設けられたことを大いに評価していますが、これも掛け声倒れにならないか、見守るしかありません。しかし少数与党によるむしろ民主的な政権運営は、冬眠から目覚めた蛇(巳)の如く、活溌に動きつづけるのではないかと、期待させます。
 個人的には寺の仕事を手伝ってくれていた後輩和尚が1月に亡くなり、去年はお寺のほうが極めて忙しくなった年でした。年末年始は関東の後輩和尚に手伝ってもらい、なんとか乗り切れそうですが、今年こそ新体制を確立すべき年なのでしょう。去年は小説は諦め、短い時間の寄せ集めで日捲り暦のようなものを執筆しました。3月には「禅的生活365日~一日一字で活溌に生きる」が発売になりますので、御批正いただければ幸いです。
 ともあれ今年も、健康に活溌な歳にしたいものです。今年の幕開けに開高健さんの言葉を贈りましょう。「漂えども沈まず」。まるで蛇の池渡りですが、しぶとく参りましょう。
                           令和7年 元旦  玄侑宗久 謹誌