日: 2022年1月1日

引いて進む

頌春
 今年も新しい年がやってきました。おめでとうございます。そうやって去年に区切りをつけ、新たな年に向けて大きな変化を期待する、というのが日本人の習わしなのでしょうね。変化を示す指標の一つが「干支」、十干十二支あわせて60通りの組合せですから、けっこう微妙な変化も表せるはずです。今年の干支は「壬寅(みずのえ・とら」ですが、それに従って今年予想される変化を読み解いてみましょう。
 まず気になるのはコロナウイルスの今後ですが、それに対しては「寅」が答えをくれそうです。「寅」とは矢を両手に挟み(あるいは人が向かい合い)、約束するさまとも言われます。約束に従って粛々と用心深く進む、ということではないでしょうか。むろん元々十二支に用いられた意味は、植物の生成変化の一つですから、土中で盛んに芽が出ている状態を意味します。地面を破って出るのが「卯」ですが、そこまでは行きませんからある種の潜伏、潜在状態と考えたらいいと思います。もしもオミクロン株の次の変異種を虎と考えるなら、爆発はしないまでも当分神経戦は続くと考えたほうが良さそうですね。
 「寅」には「つつしむ」意味があります。また「引く(退く)」「進む」の意味が同時にあります。「ひく」力と「進む」力が鬩ぎ合い、結果的に力を矯めた状態になり、これが「つつしむ」ことになるわけです。これって「虎」の足の様子を想わせませんか。殷の時代に植物の生成変化で始まった十二支は、やがて漢の時代にそれぞれ動物に当てはめられていくのですが、「寅」が「虎」になったのも道理があることだったのです。我々の生き方としても、地に足着けて安易には跳ばない進み方が求められるということでしょう。
 当時の中国北部の農耕民にとって、虎は動物のなかでも圧倒的に恐ろしい生き物でした。中国や朝鮮半島には実際に虎がいたのです。虎に準えられるのは当然コロナウイルスとは限りません。自然災害も人間が起こす災害もどんどん虎のように恐ろしくなっています。気候変動による水害や雪害、洪水や炎暑などが増える一方で、電車や密閉空間での無差別殺人なども起こりはじめています。60年前の壬寅、1962年を調べてみると、米ソの緊張やベトナム戦争もありますが、8月には三宅島で火山噴火があり、夥しい死者が出ています。今は米ソに代わって米中の鬩ぎ合いと大地震が気になるところです。
 そんな恐ろしい虎に対処するには、こちらも虎のような慎重な進み方で行くしかありませんが、要は簡単には跳ばないことです。そしてもう一つ、今度は「壬」から導きます。壬は、人偏をつければ「任」、女偏ならば「妊」となり、内部も含めた組織の在り方、あるいは時代の要請する人間の任務を意味する文字です。「壬人(じんじん)」という言葉があるのですが、これは悪い意味で使うことが多く、本来の任務を遂行するのではなく、私利私欲に走るような「佞人」「奸人」とほぼ同じ意味です。つまり今年は、人事によほど慎重でないと壬人に足を掬われると、注意を促されているのです。
 自然災害や人間の起こす凶悪犯罪、それに対処する側には当然人事の乱れは許されません。岸田内閣は発足当初いきなり人事で躓きましたが、よくよく我々も注意したいものです。財務局の文書改竄問題では、原告の請求する賠償額を全額支払う代わり、裁判を終わらせて真実は闇に葬るという、じつに恐ろしいやり方をしましたが、私はどこか近くで虎の咆哮を聞いた思いがしました。政界という洞窟にも虎が棲んでいるようですが、本当に恐ろしいことです。
 相手が虎なら当然こちらも虎になって進むしかありません。味方とは思えない虎の群れに囲まれていったい何ができるのか・・・。60年前にはビートルズとボブ・ディランが共にレコードデビューしているのが一つの救いでしょうか。こんな年だからこそ生まれるものに、強く期待する元旦なのです。

              令和4年 壬寅 元旦    玄侑宗久 拝