タグ: 仮設住宅

言わずもがな

 10月の末に、日本民間放送連盟(民放連)の集会があり、そこで講演する機会を得た。私の講演はともかく、その後のシンポジウムで吉岡忍さんがおっしゃったことが印象深い。
 要するに、民間放送もNHKも、今回の東日本大震災の報道では遺体の映像を一切映さなかったわけだが、はたしてそれでよかったのか、というのである。
 暗黙の了解、とでも言いたいくらい、今の日本のジャーナリズムは遺体をあからさまには見せない。これは日本の伝統かというと、どうもそうではなく、関東大震災などの映像には多くの遺体も映っており、戦後の風潮のようだ。
 実際、日本人には苦しい場面を人に見せたくないという心情があり、それがある部分では、世界の賞讃を受けた整然たる避難所の様子にも繋がったのかもしれない。案外これは、その点だけ修正できるような判断ではなく、もっと深いところで日本人の心性を映しているのかもしれないのである。
 しかし、と、私は考える。
 震災後まもなく、私のもとに韓国の取材班が撮ったVTRが送られてきた。そこには、信じられないほど多くの泣き顔が登場していて、同じ被災地の光景かと疑うほどだった。老若男女、みな泣いているのだ。見ている私も思わず泣いてしまう。私は何度その映像を思い浮かべたことだろう。それは本当に、鮮烈なのである。
 むろん、泣くという行為についての特殊な文化的背景が、韓国の人々には存在している。泣き男・泣き女という伝統にもあるように、彼らにとって泣くことは、悲しみを濾過する行事でもあるのである。
 しかし日本のマスコミは、遺体ばかりか泣き顔もほとんど映さなかった。
 民報連の参加者によれば、とりたてて今回そういう指示を出したわけではなく、ほとんど自主規制のように、カメラマン自身が遺体を避け、泣き顔からカメラを逸らしていたというのである。
 テレビの画面には映らなくとも、一応資料としては存在するのかというと、それは資料としても存在しないらしい。吉岡氏は、それで果たして、後世にこの震災のことが正確に伝えられるのか、と危惧するのだが、私もその点には疑いなく同感できた。
 このところ、被災地から遠く離れた地域では、あまり大震災のことも話題に載りにくくなっているような気がする。つまり、記憶も薄れ、被災者への想像力も衰えてきて、今回の出来事そのもの「風化」しつつある。
 こんなとき、秘蔵してあった遺体の映像を、遠景でいいから流してみたらどうだろう。じつは撮ってあった、老若や男女に関わらぬ泣き顔を映してはどうだろう。そうすればきっと、今回の出来事の規模や重大さが、何の解説もなく伝わるのではないか。
 しかしどんなに逆さにして振ってみても、空の徳利の酒は出てこない。撮っていない映像は示しようがない。この国にはそうした映像が全くないのだからどうしようもないのである。
 どんどん苦しい体験を忘れ、日常に戻ることは被災者にとって、望ましいことなのかもしれない。
 しかし被災者は冬の仮設住宅で、今なお家も仕事も奪われ、相変わらず明日への希望ももてない日々を過ごしているのである。
 今、被災地以外の人々には、本当の意味での想像力が問われているのだと思う。被災者のために、と言いながらトンチンカンな催しが行なわれることも多い。贅沢な願いかもしれないが、「被災者のために何かしたい」という皆さんのありがたい気持ちを、できれば無駄に消費せず、静かに溜め込んでいただきたいのである。
 今日、福島県以北のほとんどの被災地に初雪が降った。
 何ベクレルか分からない清白の雪の前で、私自身への自戒も含めて言わずもがなのことを書いてみた次第である。