日: 2021年1月1日

頌春

新年明けましておめでとうございます。

 昨年は、過去を償って懺悔すれば「更新」の年になるだろうと予測しましたが、どうもまだ償いや懺悔は済んでいないらしく、新型コロナウィルスによる災禍はますます拡大しています。地中から湧き出す陽のエネルギーとは、このウィルスのことだったのでしょうか。
 今年の干支である「辛丑(かのと・うし)」は、前の年の「庚(かのえ)」を受け継いで更なる革新の年とされますが、その際の条件として「斎戒自新」が求められます。それなら各自「自粛」を重ねていると思われるかもしれませんが、ここで求められているのは政治家の「斎戒自新」かもしれません。前政権の「桜を観る会」、「森友・加計問題」などの不透明な会計処理など、今こそ明確にして懺悔し、出直すべきではないでしょうか。前政権を引き継いだ今の政権にも、同じ懺悔が求められているわけです。
 ただ、そうした懺悔がなされたとしても、「辛」の年には「多くの殺傷を生ずることがある」(『白虎通』)とされます。第三波以降の波の動きが非常に気になるところですが、ある意味、この波の高まりも、「Go To~」をいつまでも懺悔せず、強情を通して「斎戒自新」しなかった政府による人災にも見えます。
 是非今年こそは深く懺悔し、科学を政治が使役することのないようお願いしたいものです。
 「丑」(うし)は元々、胎内の嬰児が体外に出て、右手を伸ばした姿を象った象形文字ですから、今まで曲がっていたものを伸ばすこと。
そこから「始める」「結ぶ」「掴む」などの意味が派生します。
 ウィルス対策が大きく政治に左右されるのは証明済みのようなものですから、新たな対策を「始め」、拡がった格差をなんとかまた「結び」合わせ、国民の心をもう一度「掴む」ことに努めてほしいものです。
 この国のように、「翼賛(政府の応援団)的」な動き、つまり「マスク警察」「自粛警察」等に頼るやり方ですと、政府への支持率が得られなければ話になりません。罰規定を設けたとしても、はたして「自粛」より有効なのかどうか分かりません。
 豪雪や暴風も各地を襲い、あまり明るい予測のできない年明けではありますが、禅にはこんな言葉もあります。
「夜来風雪悪 木折古岩前」(夜来風雪悪し 木折るる古岩の前)
(あんなに苦しんだのに、あらら解決しちゃってる! 風雪も悪くないね)ここで「木」が「折れる」ことが宿痾の解消とされる感覚が不思議ですが、そんな偶然も自然の力です。
 自棄を起こさず、自然の流れに従うしかなさそうです。「斎戒自新」で参りましょう。

令和3辛丑歳元旦      玄侑宗久 謹誌