『百年の挽歌』に寄せて
玄侑宗久
先日、「週刊文春」の編集部から『百年の挽歌』(青木理著・集英社刊)という本の書評を頼まれた。しかし折悪しく立て込んでいたため、詳しい内容も聞かずに断ったのだが、その後気になったのでネット書店に注文し、翌日届いた本を開くとそのまま翌々日には読了してしまった。久しぶりの一気読みだったので、依頼は断ったものの、この場でご紹介しておきたい。
事のキッカケは福島県民なら多くが覚えているだろう、飯舘村の一人の古老の死である。東日本大震災による原発事故のあと、政府はあまりにも遅く村に「全村避難」の指示を出した。その直後、村の最長老とも云える百二歳の老人が自死したのである。私も当時、地元紙でそれを知り、なんと悲惨な出来事かと思わず顔を顰め、深い沈鬱を味わった覚えがある。
県内では他に、丹精込めたキュウリを全て廃棄するしかない須賀川の農家や、南相馬で牧畜をしていた男性の自殺が取り沙汰されていた。じつは私の住職する寺の檀家さんでも、3月4月の2ヶ月だけで五人が自殺した。葬儀の数の多さも、たぶん昭和20年以来のことだ。
むろん、以前から精神不安定な方もいたり、事情はまちまちだが、それにしても「102歳で?!」という驚きは、私の脳裡にその後もずっと燻りつづけた。一般に「人生の仕舞い」や「大往生」などを考える際に、常に記憶の底から甦るトゲのような事件だったのである。
青木氏は、ジャーナリストとしてそこから丹念に取材しはじめた。村に親しい友人ができるほど現地に通い、『村史』をはじめ、明治から江戸時代へと資料を渉猟し、視野を広げていく。10年越しの作だという。
表紙に「原発、戦争、美しい村」とあるが、硫黄島玉砕を含む戦争にまで話が拡がるのも、全ては「102歳のじいちゃん」の謎の死を解くためだ。青木氏にとっても、それは大久保家や飯舘村、更には日本の歴史を辿ってまで紐解くべき、大きな謎だったのだろう。
図らずも、いや、計画的でもあるだろうが、この本は原発事故や東北の農業、あるいは戦争や徴兵の実態など、この国の多くの歴史を簡潔に教えてくれる。そしてあくまでそこから続くしかない今を、深く感じさせてくれるのだ。
しかしこの本の魅力の中心は、やはり語り手でもある古老の長男の嫁、美江子さんだろう。なにより彼女は明るく忌憚なく、嫁ぎ先の両親や夫への敬愛を吐露する。その彼女の思いを追いながら話が進むため、浮かび上がる「じいちゃん」や夫一男さんのリアルな姿が胸に迫り、時に字面が霞んで見えなくなった。
一男さんがこの時期に重篤な膵臓がんで入院し、とうとう6月に亡くなってしまったことは、東日本大震災にも原発事故にも直接は関係ない。しかし思えば人は天災でも人災でも、何らかの困難を含んだそれぞれの人生の上に更に被災するのである。比較など素よりできないが、じいちゃんに死なれ、末期がんの夫を抱え、国からは村を出るよう迫られる。途方に暮れる美江子さんの心情は察するだに辛い。本人はもっと辛いと、思う美江子さんだから尚更痛ましいのである。
そういえば震災のとき、私の父も郡山の病院に退院の見込みなく入院していた。直後に重油が途絶え、暖房の効かなくなった病院に呼ばれて行くと、檀家さんでもある主治医はこんなふうに言った。
「ここは今、暖房もなく、薬も潤沢にはありません。どこかへ転院を希望されるなら、私が責任をもって転院先を捜します。しかし、私はこの船の乗組員として、最後までこの船に残りますので、お父さんもここに、……私に任せてもらえませんか」
こんな主治医に恵まれた私や父は、恐らく中通りでも特例だったのだろう。浜通りの病院では当然そうもいかず、一部は美江子さんの夫一男さんのように、看護師さえ行く先を知らないまま、自衛隊の幌付きトラックなどで見知らぬ土地の病院に運ばれたのである。
新潟県村上市。普段ならそこは海、山、川、そして温泉にも恵まれた豊かな町だ。しかし一男さんの家族にとってはあまりに遠い見知らぬ町にすぎない。それこそ原発事故さえ起こらなければありえない、苛酷で非情な移動ではなかっただろうか。そして自らの死期を悟った一男さんの言葉「もし俺がこのまま死んだら、遺体はこの村上で焼いてもらって構わんからな」、読者はここでまた、美江子さんや青木氏の怒りや悔しさ、悲しみに同調するのである。
硫黄島で死んだじいちゃんの弟の久も含め、一男も文雄じいちゃんも、国策で、国策の過ちで殺されたのだと、青木氏は呻くように訴える。そして全村避難と決められ、解除されても四分の一の人口しか戻らないこの村も……。いや、どうなのだろうと、たぶん青木氏は考え込んだに違いない。
最終章は「それでも美しい村」と題しているが、全編にわたって描かれる村の情景は、本当に美しい。私も何度かお邪魔したが、その実感にも重なる。「までい」を謳う人々の暮らしも含め、山や田畑、花々や木々、それを梳かして吹く風が、じつに香しいのだ。
杜甫は「国破れて山河あり」と詠った。国は破れても山河は残るし生き続ける。しかし本当にそうなのかどうかは、吾々読者に残される課題でもあり、青木氏からの問いかけなのではないだろうか。しかもこの国は、破れを塗湖しきれぬまま、再び原子力を主要電源と位置づけた。
問いかけと言えば終章の前の章に、避難先の南相馬で暮らす美江子さんに届いた菅野典雄村長からの手紙のことが紹介されている。菅野村長には私も震災直後に役場庁舎でお会いし、その後も講演に呼ばれたり、シンポジウムでお会いしたり、ご厚誼をいただいてきた。「までい」の信条を掲げ、長年に亘って「美しい村」を牽引してきた張本人だが、その菅野村長が美江子さんの悲嘆を察し、転居先に手紙を送ると同時に、「霊能者の女性から託されたという数枚の便箋」も同封してきたというのである。
ここにその文章は載せないが、空洞になった美江子さんの心に、そのメッセージは沁みたのだそうだ。「じいちゃん」の言葉で語られるその言葉が読みたければ、本書を手に取って読んでいただきたい。
青木氏は、村長自身が書いたのではないかと疑い、実際会って話も聞いたそうだが、答えは明かしていない。私がどうこう言う筋合いではないが、私の知る菅野村長が並々ならぬ文章家であることは確かである。実際のところは分からないが、もしも村長が書いたのではないとしても、なんという美しい心配りの村なのかと、あらためて驚歎せざるを得ない。
新たな一歩を踏みだすため、美江子さんは一大決心をして生まれて初めての裁判に訴える。東電の関係者に、文雄じいちゃんに線香の一本でも手向けてほしいという一心だったわけだが、その結果についても、青木氏の取材に基づいた正確な文章で読んでほしい。
じつに本作は、東日本大震災から15年というこの大きな節目にこそ読むべき労作である。