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新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。
 今年も一年ぶりになってしまいましたこと、先ずはお詫び申し上げます。
 さて昨年は、父がお釈迦さまと同じ2月15日に亡くなり、その密葬と本葬(津送)が終わると、庫裏の引っ越し、更に7月1日には工事請負契約を済ませ、工事の開始と、めまぐるしい一年でした。現在は庫裏の骨組みを上げ家さんが2メートル以上の宙に上げ、基礎工事を待つ状態です。
 周囲を見まわしますと、相変わらぬイスラム過激派の跋扈するなか、イギリスがEUを離脱し、トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利するなど、「まさか」と思う事態が起こり続けました。しかも離脱後、あるいは選挙後も両派の分断が解消されていないような気がするのです。やはり「丙申」の干支の方向付けどおり、進んでしまった観があります。
 今年の干支は「丁酉(ひのと・とり)」。これはまた、「丁」という文字にはっきり両勢力の拮抗が表れています。本来は、既成勢力が横「一」、新たな勢力が縦の「一」として出てきたわけですが、元々のほうを「幹」、後発の勢力を「枝葉」と考えれば、やはり「幹」を残すため、日当たりを妨げて繁茂する「枝葉」を思い切って処断する必要がありそうです。アメリカ大統領選挙では、これまでアメリカが堅持しようとしてきた人種や性別などの平等に対し、トランプ氏はそれを崩しかねない不穏な発言を繰り返しました。政治が平等を目指さなかったら、世の中全体がおかしくなってしまいます。
 フランス国旗の「自由」「平等」「博愛」は、それぞれ経済、政治、宗教が担ってこそ叶うものです。経済の理屈で政治を動かされてはたまりません。
 一方、十二支の「酉」は、酒を醸造する器の中で麹が発酵している状態。昔から酉年は革命の年とも言われています。発酵しているのが果たして良いものかどうか、利己的な勢力ではないかどうか、よくよく判別してこの勢力に対処しなくてはなりません。現代社会を眺めますと、国家間の対立にしても家庭内の対立にしても、なんとなく経済中心の見方がそれぞれに堅い殻を付与しているように思えて仕方ありません。
 禅には「啐啄同時」という言葉があり、内側から「啐」(つつ)く雛鳥の動きを察知し、外側からちょうどいいタイミングで親鳥が「啄」(つつ)くことを言います。そうして殻が割れ、同じ広い世界に暮らすことになるのです。
 先日マスコミに公開された北フランスの発電実験は、私には素晴らしい雛のように見えました。いわゆるソーラーパネルを、ダンプが通っても耐えられる樹脂の下に入れ、道路に敷き詰めるのです。現状はまだ1kmほどの実験ですが、フランスは多くの道路にこの方式を採用し、発電しようと考えているようです。
 こんな雛なら啐啄同時で誕生を促し、大きく育てたいものですが、酒樽の中で発酵しているのは果たしてどんな勢力なのでしょうか。不安と期待が交錯する微妙な年明けなのでした。
 今年も忙しい一年にはなりそうですが、創作のほうでも革命が起こればこんな嬉しいことはありません。
 元朝坐禅会は今年も5時から致しますので、宜しければお出かけください。今回は喪中ということでたいした準備はできませんが、その点はご寛恕ください。

              平成29丁酉歳 元旦   玄侑宗久 拝