日: 2011年4月3日

仮設住宅

 岩手県の大船渡をはじめ、あちこちで避難住民のための仮設住宅が建ちはじめた。しかしこの仮設住宅の建て方で、いろいろ問題が起こっている。現在の体育館などでの避難生活を見れば、誰でも早くちゃんとした住宅に入れてあげたいと思うだろう。しかし「ちゃんとした住宅」というものがどういうものか、きちんと考える必要がある。仮設のプレハブ住宅は、いずれきちんとした住宅を建設するまでの、仮の住まいと思われるかもしれない。しかし少なくとも原発近くから避難してきている人々は、元の町に残してきた家に戻れるアテもなく、その土地に戻れるという目処も立たない。神戸の時とは明らかに違う事態だという認識が必要なのである。国からの避難指示を受けて取る物もとりあえず避難したわけだが、それはいつまで続くとも知れぬ「疎開」であり、もしかすると「移民」になる可能性さえあるのだ。受け容れた市町村にしてみれば、新しい市民、町民という見方もできるし、行政区は独立するにしろ、新たな仲間でもある。そのような人々の住まいが、「1ha以上の平地」にずらりと並ぶ必要があるのだろうか。
 ユダヤ人のゲットーやアメリカに渡った日本人移民の住宅じゃあるまいし、もっと受け容れ市町村の思いや実際に住む人々の気持ちに沿う形があるはずである。福島県各地は、特に原発の風評被害のせいもあり、あらゆる産業が縮小しつつある。避難してきた人々にしても、ハローワークに出かけるなど、すでに仕事がしたい人々が大勢いるのである。そのようなことを総合的に考えると、この仮設住宅の建設こそ、新たな雇用を生みだすチャンスと思えてくる。社団法人プレハブ建築協会が全体を請け負い、13日時点で約4800戸分の部材を4週間で確保し、あとは各自治体と協議したうえで着工すると発表した。4月3日付けの日本経済新聞によれば、「自治体からの要請を受けたあと、市町村を交えて被害状況や建築場所、供給戸数の配分などを協議。その後、着工の準備に移る」としているが、どうも現実には、施工業者の都合でとにかくだだっ広い場所が要求され、3種類の規格の家が機械的に作られていくようなのである。自治体によっては、そんな広い場所は、学校の校庭やたとえば企業誘致のために確保していたような土地しかなかったりする。
 いずれにしてもそこに多くの仮設住宅が並んでしまうと、新たな雇用先である工場も誘致できず、学校の屋外授業にも支障をきたすことになる。たとえば我が三春町の場合、田園生活館という施設には周囲に広い草原があり、バンガローなどが建っている。その施設の宿泊部分を富岡町の人々に開放してしまったから、その周囲に仮設住宅を建てるのが最も合理的なのである。しかし田園生活館そのものに大浴場があるから、仮設住宅が必ずしも風呂付きである必要はない。いや、むしろ、町の仲間たちとの接触を楽しみに今の生活に耐えている人々には、共同の風呂は望ましくもあるのである。とにかく「市町村を交えて被害状況や建築場所」などを協議するというなら、一律に一斉に急いで作るのはちょっと待って欲しい。町内には空いている町営住宅だってあるし、個人住宅の空き家もある。だだっ広い場所にまとめてじゃなく、幾つかの集落を作るやり方も考えられるのである。ともあれ(財)プレハブ建築協会に丸投げされた今回の仮設住宅建設だが、希望する自治体には設計も施工も任せていただけないだろうか。そうすれば新たな住民を迎える自治体も、これまでの街づくりの延長線上で「移民」住宅を考え、その町らしい受け容れ方を考えることができる。避難してきた人々は、望んで自宅を捨ててきたわけではない。受け容れる市町村も、べつにそうしたくてしているわけではないのである。そうであるなら、双方の意見を最大限に採り入れ、場合によっては建設工事の全体を市町村に任せるという英断があってもいい。少しでも県内市町村の復興と持続的成長を考えてくださるなら、佐藤雄平知事さま、なんとかご配慮をお願いします。