日: 2011年6月8日

コミュニティーを保つ大きな力

 子を思う親の気持ちは世界共通だし古来変わらないものだと思いたい。『方丈記』には、飢饉のときも、「親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける」とある。つまり稀に食べ物を手に入れても子どもに与えようとするため、必ず親のほうが先に死ぬというのである。
 福島県でも今や、親たちが子どもを心配する様子は、これに近い状態になっていると云えるだろう。学校での放射線量基準は年間 20mSvで据え置かれたものの、各市町村は自主的に校庭の削土などを始め、いろいろ泥縄的な不手際はあったものの、削った土にカヴァーして埋設するなど、最終的な処分法は決まらないまま、子どもたちの環境改善に努めている。国のほうも年間1mSv以下まで下げることを努力目標として認め、そのための費用は負担すると宣言した。
 それでずいぶん状況が変わり、安心するかとも想像したのだが、親たちの気持ちはなおも収まらない。安全だと言われても安心できない。そんな気分がどこまで行ってもやみそうにないのである。
 もともと、低線量の放射線の影響については、充分に分析された資料がない。正直な話、国際放射線防護協会(IAEA)でも年間20m~100mSvについてはよく分かっていないから、その時その場に合った総合的な判断を、と告げるのみである。
 しかし子どもも大人も、浴びる放射線量は少ないに越したことはないから、とうとう伊達市では一般家庭の表土削除まで検討している。果てしない除染活動が、今後もますます展開されそうなのである。
 そんななか、福島県の子どもたちを夏休みだけでも北海道で過ごさせようというプロジェクトが始まった。いやじつは私も応援コメントを寄せているので、ここで紹介しておこう。「ふくしまキッズ夏期林間学校」(http://fukushima-kids.org/)というのがそれである。コメントにも書いたが、ふるさとのコミュニティーを壊さずに子どもたちの健康を守ることを突き詰めて考えていくと、こういうことになる。現在休校状態の学校は県内で23校。そんななか、ふくしまの子ども全員を県外の安全な場所へ移動させようという過激な意見もあることは知っている。しかし学校がなくなることに加え、家族やコミュニティーが崩れることによって生ずる子どもたちのストレスも、私は莫迦にできないと考えている。不確定な安全をどこまでも追い求めるあまり、失うものの大きさがあまりよく見えていない気がするのである。
 サイトでご覧いただけるように、最長で1ヵ月間、場合によっては親も一緒に過ごすことができる。6月6日、申し込み受付から約1時間半で、200人の応募者が埋まってしまったというから凄い。
 しかしじつは喜んでばかりはいられないのだ。彼らの滞在費が無料(往復の交通費のみは要)だと謳っているのに、まだその費用が充分には集まっていない。是非ともご寄付のご協力をお願いしたいのである。
 たしかにこれで、ふくしまの子どもたち全員が行けるわけではない。その点では、行ける子と行けない子ができることは気になる。しかし何よりこれは、親御さんたちの安心のためのプロジェクトなのだと思ってほしい。協力金がもっと集まれば、二次募集、三次募集も検討するようだ。
 今日、私のところに一通の真摯な手紙が届いた。二人の小学生の子どもを案じる母親からの便りなのだが、子どもたちのマスク姿に、ストレスを感じている母親たちがとても多いという。子どもの年齢に応じて、放射能とはどういうものなのか、なぜマスクをしなくてはいけないのか、なにが怖いのか、学校としてきちんとした説明をしてもらえないか、という建設的なご意見である。
 私は早速教育長にかけあった。教育長もすぐに同意してくれ、学年に応じた文案をつくって専門家に検証してもらおうということになった。
 多くの大人たちが子どもたちのために東奔西走している。それこそが今コミュニティーを保っている最も大きな力ではないか。
 そう考えてくると、東電という会社が今更ながら許せなくなってくる。「じつは2ヵ月まえにメルトダウンしていました」「じつはメルトスルーしていて、当初発表の数字は間違いで、およそ2倍の77万テラベクレルでした」。原子力安全保安院を含め、このいい加減さはいったいどういうことなのだろう。最近では、テクネチウム99などという、聞いたこともなかった放射性物質が検出されたことも問題になっている。
 何度も申し上げているが、ウソをつき、隠しているならそれは犯罪者である。まるで死にそうな子どもと親から服を奪うにも等しい「いのち」の簒奪ではないか。また本当に知らなかったというなら、当然即刻やめていただきたい。それでは瀕死の親子の前で目も見えないまま刃物を振り回す狂人である。
 現場の人々には敬意を捧げつつも、情報を扱う人々のあまりのいい加減さには呆れるしかない。お母さんたちが、いくら安全だと言われても安心できないのは当然だと思えてくる。
 週に数回、保安院や東電、政府関係者によって外国人特派員に向けた会見を開くのだが、最近は参加者がどんどん減り、6月1日にはわずか4人しか集まらなかったようだ。
 こんな重大な問題について、これほどの情報価値の暴落を招いた、ということが、現政権の最大の罪であろう。とうとう餓死した親子の横で、背広を着た大人たちが椅子取りゲームに興じている。そんな光景は、誰も見たくはなかったはずである。
 とにかく子どもに罪はない。それを案ずる親たちも、案ずるべくして案じているだけなのである。