明けましておめでとうございます。
今年は丙午(ひのえ・うま)、昔からこの干支に生まれた女性は、男性を突き上げるなどと言われますが、これは全くのデマとして排除すべきものですので、まず最初にお断りしておきます。
ただそのような誤解が生まれやすい干支であることは確かで、「丙」は一画目の陽が頭打ちになって囲いの中に入った姿、また「午」の最初の二画は地表を表し、その下に「十」がありますが、これは陽である「一」を陰の「|」が突き上げる形です。デマの由来は、おそらく陰陽をそのまま女性と男性に置き換えたことによる短絡でしょう。しかしここでの陰陽は、もう少し大枠で捉える必要があります。つまり潜在していた勢力が陰で、現在の勢力が陽なのです。要するに「午」は潜在していた勢力が勢いを得て、現在の勢力と拮抗する状態を意味します。一言でいえば「内憂外患」の年。歴史的には、現在の勢力がうまく収めた場合と、潜在勢力が勝ってしまうケースと、両方あるようですが、どちらがいいと明言するのは難しいのです。
たとえば文治2年(1186)の丙午には、平家を滅ぼした源頼朝に、弟の義経という反動勢力が現れます。この場合は結局頼朝が義経を抑え、奥州へと下らしめたわけですが、その頼朝の政権もまもなく北条氏に取って代わられます。あるいは慶長11年(1606)の場合は、秀吉の子秀頼が右大臣になり、豊臣勢力が猶も続くかとも思われたのですが、同じ年に内大臣になった秀忠(家康の子)が勢力を得て、豊臣家が倒れるわけです。江戸幕府はその後長く泰平の世を保ちましたが、それはこの年に反動勢力が勝った結果なのです。
石破政権に代わって高市政権が成立しましたが、果たして内憂外患は解決されるのか、あるいはより困難を増すのか、冷静に見極めなくてはなりません。高市政権に対する反動勢力が今年出てくるという見方もできますが、もしかすると一足早く出現した高石政権こそむしろ反動勢力なのかもしれず、そこはなかなか見方が難しいところです。
私自身のことはこの際、卑近なことですが、それでもやはり「容易ならざる年」、重大な年になるような予感はしています。これまであまり思ったこともなかったのですが、まずは身体的な不安が反動勢力のように潜んでいます。
一方で、そんな状態でも有り難いことに仕事が苛酷なほどあります。これもいわば「内憂外患」のようなもの。今年はその両者をどう向き合い、処理するかが、根本的に問われるような気がするのです。
皆さんもどうか、それぞれの「内憂外患」にうまく対処され、平安な年にしてくださいますよう、お祈りいたします。
今年は書き下ろしのエッセイ集なども予定していますが、全ては状況次第。去年折れ曲がった「乙(きのと)」の芽が、今年こそなんとか伸びてほしいものです。
禅や老荘の立場からは、余計な手を加えず、道(タオ)に任せきっておけば、きっとそうなるものと確信します。近頃は毎晩一定時間必ず坐るようにしており、少しずつ造作なき時間が増えている気がします。
なお、月刊「うえの」は残念なことに去年からweb版だけになってしまいましたが、そこに「馬頭観音はなぜ怒るのか」を書きましたので、是非ご一読ください。干支には関係ない馬たちの切ない話です。
令和八丙午歳元旦 玄侑宗久 拝