カテゴリー: 仏教

還暦のお正月

 新年明けましておめでとうございます。
 お前のブログは新年の挨拶だけかと言われそうですが、ほんとうにそうなっていますから、反論はありません。
 毎年、干支の意味合いなどを考えてみたわけですが、今年は丙(ひのえ)申(さる)、何と言いましても、私の生まれ年の干支なのです。私自身を振り返ってみても、なるほどと思える干支ではあります。
甲、乙、で芽を出し、それが一旦ひねくれるものの、その生長のエネルギーは止まらず更に伸びつづけます。「申」の基本的な意味は「伸びる」ことです。しかしその生長は、「丙」という文字のとおり、すでに内に籠もりはじめます。「丙」の一画目の「一」は陽気を意味し、これが「門」から内側に「入る」というのがこの文字の形なのです。
 そうしますと、エネルギーは存分にあるものの、それが外側と内側に分裂していく、ということになります。分断したままエネルギーは溜まり続けますから、これはちょっと危険な状況と言えるでしょう。私自身の場合は、剣道などで発散する外側へのエネルギーのほかに、モノを書くエネルギーが溜まっていった、というふうに理解することもできます。しかしすぐに浮かぶのは、むしろ社会的な分断のほうです。たとえば福島県のなかの県外避難者と残留する人々、あるいはもっと大きく眺めわたすと、イスラム国を発生させた西側諸国のなかの格差による分断。
 ある意味では、それは世界を二分しかねない二つの生き方、価値観の相違とも思えます。グローバリズムを推進する側の価値観が、今や暴力的とも言える形で世界に流布し、その陰で苦しむ別な価値観の人々が見えにくくなっている。そんなふうに私には見えるのですが、如何でしょうか。
 集団的自衛権をはじめ、安全保障を巡るこの国の在り方も、今年は突き詰めた形で問われそうな気がします。パリで同時多発テロが起こったとき、安倍総理は「我々の価値観への挑戦だ」と言って反イスラム国側に与しましたが、本当にその立場しか取り得ないのか、どうか、よくよく考えるべき年になりそうな気がします。私自身は、どうしても日本独自の第三の立場があるような気がして仕方ないのです。少なくとも、素直な反イスラム国包囲網からは即刻抜けないと、この国でもテロの危険はうなぎ登りに高まります。おそらくそうなってからでは、この国独自の立場など取り得なくなるに違いありません。
 毎年、小説が書きたい、とばかり書いてそれが達成できないので、今年は書きません。
 昨年から続く普請が今も続いており、去年9月には本堂部分が完成しました。今年は庫裏の工事が始まるため、引っ越しもあり、現実の暮らしのほうが予断を許しません。ただ、エネルギーは溜まりつづける一方ですから、そういった普請で発散できない分は、何とかしなくてはならないのでしょう。
 皆さんも、是非とも創造的な年にしていただきますよう、年頭にお祈り申し上げます。
 それにしても、今年は雪もなく、これまでになかったほど穏やかな年明けです。
 今朝は5時から恒例の元朝坐禅会。少し休むことにします。

               平成28丙申歳 元旦    玄侑宗久 謹白