新年明けましておめでとうございます。
とにもかくにも、雑多なものが繁茂する戊子(つちのえ・ね)が暮れ、己丑(つちのと・うし)の年を迎えたのは、目出度いことであります。
昨年は、アメリカのサプライムローンに始まる金融恐慌で、なにがなんだか分からないほど道筋が見えなくなってしまった。秋葉原での無差別殺人のあとには、欧米風の要人テロまであり、このまま欧米を真似ていてはゆゆしきことになる、そうは感じながらも、さてそれでは何を基準にしたらいいのか、分からなくなっているのではないだろうか。
今年の干支である己丑の己(つちのと)は、「紀」の省略形と考えていい。乱れた糸筋、筋道をとにかく通し、ごたごたを解消する年回りなのである。また丑というのも、元は胎内にいた嬰児が表に出て、右手を伸ばした姿の象形文字。つまり、曲がっていたものを伸ばすことだから、転じて「始める」「結ぶ」「掴む」などの意味になる。
日本という国を、本来の道筋に戻すには、これほど相応しい年回りもないだろう。
実際の行動面では、自らの行動において因果を昧まさないことが肝要だろう。今のその行動が、なにかの原因としてはたらく、そのことを忘れないことである。
昨年の年頭には、平田精耕老師のお言葉を紹介したが、それから程なく、1月9日に遷化なさってしまった。それを思うと、昨年の混乱はそのせいだったかにも思える。1月24日には一周忌を迎える。そろそろ日本全体が立ち直らなくてはならない。拡張しすぎたものは縮小し、根の営みを見つめ直すべきなのだと思う。
2009年元旦 玄侑宗久 拝