新年明けましておめでとうございます。 今年は丙戌(ひのえ・いぬ)。例によって今年一年を見るための「仮想」を示そうと思う。『脳と仮想』は一昨年の茂木健一郎さんの著書だが、それに拠るまでもなく、我々は仮想によって世界を見ている生き物だからである。 丙は火の兄。丙は「あきらか」とも読む。つまり草木が地上に出て伸張し、その姿が明らかになった状態で、その盛んなエネルギーを意味する。 一方の戌はもともと「茂(しげる)」という字に「一」を加えたもので、やはり万物の熟する時節を意味する。季節で云えば旧暦の9月、つまり、紅葉そして実りの季節なのである。 ではいったい明らかになって結実しようとするのは何なのか、それが問題だ。 そこで「戌」の意味をもう一度考えてみると、この字には「誠」や「温気」、また「鮮(うつくし)」や「恤(あわれみ)」という意味がある。 あまりに残酷な出来事や悲惨な戦争が続いたために、ようやく人の心の底にあった「誠」や「温気」が表面に現れ、恤(あわれみ)の心が実ると捉えたいのだが、如何だろうか。 多くの血が流れてようやく殺生を恤(あわれ)む心が生まれるわけだが、それは同時に鮮(うつく)しい心とも云われるのである。 たまたま前回の丙戌は1946年。つまり第二次世界大戦の終結の翌年である。 たくさんの血に辟易した人々の多くは、一心に仕事に専念し、いわゆる高度経済成長を成し遂げてきた。しかし今回の丙戌はひと味違ってほしい。いや、違わざるを得ないだろう。 季節の変わり目には、それまで着々と準備されてきたものが一気に吹き出すように現れる。恤(あわれみ)の心も、今まで眠っていたようだがちゃんと活動し、最悪の環境のなかで夏の茂りも経験してきたのである。 犬は古来人間に最も親しまれてきた温和な動物。 私など、見習いたいと思う点が幾つもある。 たしかに凶暴になってしまった野犬は手に負えないものだし、最近の子供たちに向けた凶悪な犯罪には野犬を想わせる凶暴さを感じる。しかし、野犬から身を守るために子供たちを檻に入れるというのはあまり賢いとは思えない。 恤(あわれみ)の手始めは、野犬との対話から始めなくてはならないのかもしれない。 なんだか年頭の挨拶としては、ちょっと深刻になってしまったが、今年も縁起はいいに決まっている。 今年は少し、小説に力を入れたい。2006年1月1日 玄侑宗久 拝