災害心理学という学問があるらしく、大きな災害のあとの人の心の変化を4段階に分類している。
災害直後は「英雄期」と言われ、自分や家族、周囲の人々の命や財産を守るため、多くの人が必死になって勇気ある行動をとる。「火事場の馬鹿力」などと呼ばれるのもこの時期の活躍だろう。
次は「蜜月期」といい、まるで結婚直後のようだが、これは人々が連帯して困難に耐え、お互いに助け合い、外部からの援助も受けながらなんとか苦しい状況を乗り切っていく時期で、通常は1週間から6ヵ月程度つづくらしい。これだけ幅があるのは、個人によっても違うし、災害の状況によっても違ってくるからだろう。
しかしこの時期のあとには「幻滅期」がやってくる。今回の大震災の場合、とっくの昔に幻滅しているという人も多い。一次避難所に炊きだしのボランティアに行った人なども、自分たちの前を、何も話さず、挨拶もせず、亡霊のように行き過ぎる人々がいたと言う。
避難所で聞いた「明日が見えない」「子どもの声が聞こえない」「死に場所がない」なども、充分に幻滅・悲観を感じさせる言葉だ。
それまでの忍耐が限界に達し、将来への不安、家族を失った悲しみが溢れ、また自他のダメージの違いなども見えてきて、反目感情も表れてくる。こうなると個人の忍耐ではどうにもならない。国や行政などによる大きな援助がどうしても必要である。
おそらく今は、多くの避難者たちがこの幻滅期に入っているのではないだろうか。じつは私自身もそうなのだから困ってしまう。
先日、飯舘村から福島市に避難している方が、私のところに突然やってきた。避難している人々の間に分裂が起こっている。一方で、なんとしても村に帰るという人々がおり、しかしもう一方には、線量の高さや山林除染の難しさを思うと、それは不可能だと考える人々もいる。その方は後者なのだが、そうであればこそ、今後の展望がどうしても欲しいというのである。
私はチェルノブイリの時に新たに作られた50万人規模のスラブティッチという街の話をした。するとその方は、「そうなんです。その話がしたくて来たんです」と言うのである。
これは、先ほど申し上げた「蜜月期」と「幻滅期」の分かれ目の話だろう。つまり、村に帰る気持ちを強く持っていれば「幻滅期」に入らずに済むかもしれないが、帰れないと思った人にはそれに代わる将来の展望がどうしてもほしいのだ。
当初から国は、国有地を使った新しい町を作るアイディアは持っていた(確かに私にそう話した大臣がいた)。しかしそれを告げることは、「戻れない」と宣告することにも思え、「いったい誰が言うのか」と誰もがその役を嫌がり、結局今後の方針については、すべて原発収束の2段階終了予定の来年1月以降、発表するとしてきたのである。
ところが飯舘の人が来た翌日の新聞(地方紙)一面に、原発周辺の土地を国有化し、住民の「移住」を促すという提言が載った。提言したのは民主党の「原発事故影響対策プロジェクトチーム」である。それによれば、「国有地の提供も含め」、コミュニティー単位の移住には最大限の支援を行なう」というのだ。それならスラブティッチとは違い、元の行政も別な場所で保たれることになる。
細野豪志原発相が言う、20キロ圏内でも除染の済んだ段階で一部住民の帰宅を検討する、という宣言とは、一見矛盾するように思う。しかしおそらく、20キロ圏内すべてを警戒区域に指定したことじたいに矛盾があるのだから、こうした矛盾を含んだやり方が必要なのである。双方とも進めればいいと思う。
飯舘の方が帰るとき、私はこの記事のことは知らなかったが、「それはそれとして提言しますが、村に戻る意志は決して失わないほうがいいですよ」と申し上げた。村民すべてがそれを失ったとき、全ては瓦解するだろう。
以上も一種の幻滅期に近い状態だが、いま最も心配なのは、仮設住宅に入った人々の生活の不便や孤独、寂しさ、絶望である。
失われた日常が何一つ戻らないまま、彼らは自前の生活を強いられている。避難所に大勢で暮らす状況を勝手に哀れむ人々が、会話の場や食事の供給をも奪ったのである。
以前から申し上げていることだが、寝場所は仮設住宅が望ましいが、どんなに小規模の住宅にも集会場が必要である。行政も、彼らの生活を本当に支えるつもりがあるなら、避難民が集え、そこに行けば食事をいただける場所を是非とも継続してほしい。それこそが、「蜜月期」を最長の6ヵ月まで延ばす手だてだろう。
ところで「幻滅期」は通常、1~2年ほど続くものらしい。
その後にようやく「再建期」が訪れ、数年を経てようやく被災者が日常を建て直す自信をもってくる。
それまでは行政はむろんのこと、さまざまな人々の現実的な援助が求められる。ここでは、南相馬の避難所に住み込み、「こころシェルター」などを作った建築家の高崎正治氏の活動をご紹介しよう。
http://www.takasaki-architects.co.jp/kokorosheltercommunity.html
高崎氏はあくまでも和風にこだわり、避難民の生活に潤いを加える工夫をつづけている。避難所に限らず、仮設住宅地内の集会場にも、たとえば故郷の神さまを分祀できる空間なども検討中である。
避難所や仮設住宅に住む人々は、いったいどんなお盆を迎えるのだろう。まもなく迎えるお盆という供養シーズンに当たり、どうか関係市町村には特段の配慮をお願いしたい。避難住民を、なんとか幻滅させないようにしていただきたいのである。