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謹賀新春

新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。
 もうすっかり、お正月だけのブログになりはてていますが、昨年は干支のテーマで『チコちゃんに叱られる』にも出演してしまいましたし、正月のブログは楽しみにしていると仰る方もいますので、今年も書くことにいたします。

 昨年は「己(つちのと)亥(い)」で、なにやら爆発的な噴出があるだろうと申しましたが、振り返れば台風19号の洪水被害がまずどうしても思い浮かびます。国内の死者99人のうち、我が福島県では最多の32人が亡くなったのでした。先日、新天皇皇后両陛下がお訪ねくださった宮城県の丸森町は一つの行政単位として最多の10人が死亡、また福島県の本宮市はいわき市の8人に次ぐ7人が亡くなりました。そういう被害を見ながら訪問先も決められたのでしょう。去年も申しましたが、とにかく伊勢湾台風と同じ年回りだったのです。
 ただそうした因縁だけでなく、自然との向き合い方があらためて問われているように思えます。特に治水のやり方は明治時代からいつのまにか西洋式になり、水を敵と見てすべて川に囲い込み、「連続堤防」で海まで運ぶ、というのが今のやり方です。江戸時代までのように流域全体で受けとめる「流域治水」のやり方を再考すべきなのではないでしょうか。
 ここではそれ以上書きませんが、とにかく圧倒的な自然の力の噴出が「己亥」の一番の印象だったわけです。

 さて今年は「庚(かのえ)子(ね)」です。「庚」は「更」に通じ、「更新」を意味します。更新とは、基本的なことは継続しながら罪や汚れを祓い浄め、悪かったことを償いつつ進めていくことです。
 昨年は、史上最長となった安倍政権の緩みが目立った年でしたが、それも「償い」を果たしてこそ「更新」されるのでしょう。
 「子」は「鼠」にも喩えられるように、「増える」ことです。本来は、タネ(亥)から多くの芽が出ることですが、鼠もねずみ算式に増えますからうまく喩えたものです。
 問題は、なにが増えるのか、ですが、先に上げた「庚」の「償い」と「更新」を実行する勢力であってほしいものです。
 今年はオリンピックを迎えますし、継続する部分はむろん必要です。しかしそれが反省も踏まえ、明瞭に変化しつつ是非とも「更新」になってほしいものです。
 じつはうちのお寺も起工式から6年目を迎えており、平成大改修と呼んだ工事が5月には落慶を迎えます。台風の影響で遅れた最終工事もまもなく終わりを迎えますが、落慶法要の準備を継続し、反省しながら更新していきたいと思います。

 最近は新著が出ていませんが、東京新聞、中日新聞などに7年半連載していた『うゐの奥山』がようやく一冊にまとまります。しかしこれも新著ではなく「継続」と「更新」の結果のようなもの。
 私は落慶法要が終わるまでは「継続」と「更新」で臨む所存ですが、皆様にとりましては「飛躍」の新年でありますように。

               2020庚子歳 元旦     玄侑宗久 拝