新年あけましておめでとうございます。
最近はすっかり年頭の挨拶のためだけのブログと化しているが、ご寛恕頂きたい。
さて今年も、干支の意味する傾向を考えてみたい。
まず昨年の「癸(みずのと)卯(う)」から振り返ってみよう。この歳は、筋道を通さなければ紛糾して収拾がつかなくなり、場合によっては一から出直すしかなくなるという年回りだった。まるでそれを証拠立てるように、自民党が旧統一教会との癒着で揺れ、その後はパーティー券のキックバック問題で息も絶え絶えである。
そうしたなか、今年は革新の芽が伸び始め、陋習を破ろうとする新勢力と、既得権を守ろうとする旧勢力がしのぎを削ることになるだろう。
「甲(きのえ」は元々草木の芽が破り出る殻のこと。転じて鎧(よろい)を意味し、旧勢力の抵抗に準えられる。そして「辰(たつ)」は、文字中にある「二」が「天」や「理想」を意味し、そこに向かって辛抱強く伸びていく様子である。季節は春になり、新芽が種を包む殻から顔を出すのだが、余寒厳しく、なかなかすんなりは伸びられない状況と言えるだろう。おそらく事態が落ち着き、改まった体勢になるのは来年「乙(きのと)巳(み)」に及ぶことになる。来年は「乙巳」。伸びかけた芽がさまざまな抵抗や攻撃を受けつつそれでも「乙」のように曲がりながら伸び、ついに内乱がやむ。「巳」は冬眠していた蛇が地上に出た状態である。およそ2年かけて形を整えるのかもしれない。
ウクライナでの戦争が終わらぬうちにパレスチナでも毎日死者が増え続け、CO2 の問題など関係なくミサイルが打ち込まれる。CO2 に起因すると思われる異常気象も去年は危機的な印象で、正月の温かさに思わず喜びたくなるが、これこそ底知れぬ異常気象の序章なのかもしれない。実際、多くの日本企業は、CO2 の削減目標だけは言い渡されたものの、削減の方法も技術も「知らない」という会社が半数を超える。排出余剰分のお金を払えば済むと思っている会社も多いに違いない。この問題にも、日本は本気度を問われている。やはり革新の芽に伸びてもらわなくては困るのである。
政治を話題にし、革新の芽などと言えば、さだめし野党に期待していると思われるかもしれないが、今の野党は殆んど勢力とは呼べない。革新の芽はむしろ与党内部に芽生えてくるような気がする。この国の政治はじつにユーウツなのだ。
福島県に眼を転ずれば、中間貯蔵施設に搬入された大量の汚染土壌などの処理問題がユーウツである。線量の低いものについては土木資材などへの活用策を考え、草木などの可燃物は燃やして灰にし、更に灰は高温処理することで容積を20~30分の1に減らす技術を開発した。しかし減容量化すればするほど放射性セシウムの濃度は増し、作業や移動のしにくい危険物になっていく。果たして2045年までにどこか県外に運び出すことなど可能なのだろうか。その難しさがユーウツというよりも、「30年後に県外に運び出す」と無責任に確約した政府と県のあり方がなんともいえずユーウツである。確実に当事者がいなくなっている未来の約束など、どうしてできるのだろうか。
私自身、昨年は12月に「桃太郎のユーウツ」(朝日新聞出版)を上梓でき、ここ数年来のユーウツを払拭したような嬉しさを感じる。2月には「むすんでひらいて いま求められる仏教の智恵」が刊行される予定である。震災後の多くの問題を抱えながらも、感染症とうまくつきあい、しかもこれまで未経験の戦争状態を我々は生き抜いていかなくてはならない。若い世代の自殺が多いことがこの国の抱える問題を集約的に示していると思えるが、とにかく我々は前に進まなくてはならない。それは自分自身が老熟しながら歩む道だ。こんな時代だが、ユーウツの先へ、とにかく一歩を進めよう。
それには何より健康というか、身体的不安がないことが必須である。最近、大臀筋を鍛えようと思い、トレーニングバンドでバックキックに励んでいるが、腰の調子がいい。キックバックではないので念のため。
令和6甲辰歳元旦 玄侑宗久 謹誌