日: 2011年5月23日

第6回復興構想会議

 第6回の復興構想会議について、ご報告しておきたい。内閣官房のHPで「復興構想会議」のバナーをクリックすれば、当日までに提出した原稿は読めるのだが、あまりうまく表現しきれなかったので補足しておきたい。
 要は今回の地震や津波でお寺や神社も甚大な被害を被っており、その復興に関することだ。
 宗教法人という言い方をすると、なにやら厄介な制約を受けそうだし、憲法の規定もあって結局は篤信の人々でご自由に、ということになるのだろう。阪神大震災のときもそうだったが、一般の人々の復興が終わってしばらくしてから、そろそろ神社仏閣も、ということになるのが普通である。
 しかし東北に限らず、地方の人々にとってのお寺や神社は、そのような自由意志による宗教法人とは違った側面をもっている。先祖が眠る墓地のあるお寺や、祭の中心に位置する神社は、もっと深くその土地に住む人々の文化や精神的土壌に染み込んでいるのである。
 震災後、基本的には行政機関や学校などが避難所になったが、なかには避難所になった神社やお寺もある。もとより寺や神社は地域に開かれた半ば公共の場所なのである。
 今後、町ぜんたいを再構築するような行政地区にあっては、寺社仏閣の復興も大きな要素になるだろう。第一歩を踏みだせるのは相当後になるとしても、少なくとも場所だけは確保しておいていただかないと困ったことになる。
 場合によっては、複数のお寺を一緒に復興するようなプランも、あり得るのではないか。
 たとえば宮城県の石巻などの場合、5ヶ寺がほぼ全壊し、2人の住職が亡くなった。檀家さんの8~9割以上が全壊している現状で、本堂や庫裏の再建など不可能である。それならひとまず、全てに避難所や寺子屋、公民館などの機能をもたせ、場合によっては一つの本堂を共有する何ケ寺かの集合体として再生することも考えなくてはなるまい。各寺の庫裏は、塔頭のように配置されるのである。
 おそらくその場合、現行法では多くの困難が生じるだろう。その辺の制約を取り払うなど、国や地方行政には特段のご配慮をお願いしたいのである。
 お寺や神社というのは、「文化」と規定すると狭くなりすぎる。むしろご縁と祈りのためのコミュニティの核と云ってもいいだろう。そしてそのような機能こそ、今回の復興に際しても最も求められているに違いない。
 また双相地区には大小300を超える神社があるが、これも今は放置されたままになっている。仮設住宅地への分祀を希望する住民にも複数出逢った。解体しかける単位行政を繋ぎとめるために、神社の存在も過小評価すべきではないのである。
 実際には、どのような援助が国や県としてできるのか、難しい要素は多いと思うが、少なくとも検討すべきテーマとして提出した次第である。
 もう一つ、緊急提言したのは、これまで黙って見てきた原発の収束への取り組みについてである。「二ヶ月前にメルトダウンしてました」という告知はあまりに非道すぎた。前回の「雪月花」に書いたことだが、利害のない第三者的会社の技術者も動員していただかないと、事実を隠すこの体質に変化は望めないだろう。一日も早く総動員体制を組んでいただきたいのである。
 これについては松本防災相が「経産省に必ず伝えます」と約束してくれた。期待して待ちたい。