12月26日は毎年お寺の「餅つき大会」である。今年は前日に雪が降り、当日は晴れたものの寒気凜列、なかなか厳しい大会となった。しかし参加者は例年の倍ほどもいた。じつは三春町の仮設住宅や借り上げ住宅に住む葛尾村や富岡町の人々をお招きしたのである。
いつもと違い、臼も二つ、千本杵も30本ほど用意した。檀家さんの宮大工さんが作ったり借りたりしてくれたものだ。そうなると、蒸すほうもこれまでどおりでは間に合わない。女房が大阪から持参してきていた蒸し器を初めて使った。それに合う蒸籠も檀家さんの饅頭屋さんから借りた。当日雪が降った場合のために、町にもテントや机、椅子などを借りた。むろん餅米も檀家さんからのご寄付。いわば頂き物と借り物だらけの餅つき大会なのであった。
本堂や観音堂、文殊堂などに供える鏡餅が5組、トイレや風呂場などの神さま仏さまに供える段餅が16組。普段はそれから持ち帰り用の小餅を作るのだが、今年は数も数なのでほどよい大きさにしてビニール袋に入れることにした。この様子が背中を丸めたネコに似ているというので、餅屋さんではこれを「ネコ」と呼ぶらしい。
そうしてそれから皆が食べるための餅と、例年の如く「エビ餅」である。この「エビ餅」、半ばまで搗いた餅に小エビと塩を混ぜてまた搗く。これはあっという間に堅くなるので搗くのが一苦労なのだが、富岡にも葛尾にもじつに有能な搗き手がいた。とりわけ富岡の町役場の若い職員は、いったい職業は何かと訊いてしまったくらい、瞬発力と持続力を発揮してくれた。
それにしても、この「年とり餅」の習わしは、じつに古い日本の伝統行事である。門松を飾り、それを依り代に降りてくるのが「歳徳神」だが、その霊力(歳霊・としだま)が餅に宿ると信じられている。
同じ蒸籠で蒸し、同じ臼で搗いた餅を皆で分かち合うことで、新しい年を生き抜く霊力を授けられると考えたようなのである。
当然のことだが、ここには数え歳をいただく場合と同じ発想がある。数え歳は、午前零時にとるのでも除夜の鐘の最後にとるのでもなく、大晦日に家族揃って食事しているうちにとるのだ。
餅が好きとか美味しいという以上に、こうして皆で餅を搗いて食べるという行事は、我々に劇的な変化を促す宗教行事だと言ってもいい。これは明らかに、ハレの食事なのだ。
そういえば、死者の葬礼でも餅は欠かせない。今は少なくなったが、死者が出た当日には「耳ふさぎ餅」を食べ、出棺のときは「力餅」を食べ、埋葬のときに「引っ張り餅」をして食べる地域もあったようだ。満中陰にも餅を供える地域は多い。
特に富岡町の人々など、亡くなった親族・知人もいたはずである。「年とり餅」であるだけでなく、今年の餅は複雑な意味合いがあったのかもしれない。
ここまで特別の食べ物である米に、今年は放射性セシウムの問題が起こった。県内で出荷停止になった農家の数は、ちょうど108軒だという。ちょうど108、というのは、つまり除夜の鐘の数、人間の煩悩の数、もっといえば四苦(36)八苦(72)の合計数と同じなのである。
餅を供え、松を飾り、そして除夜の鐘を聴く。普通は行く年を惜しみつつ除夜の鐘など聴くのだろうが、長かった一年がようやく終わるのだ。来る年が少しでも明るい年になることを願い、この年の終了を慶びたい。どうか佳き新年をお迎えください。 (2011,12/29)