明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
まるで道尾秀介さんの小説かと思うようなタイトルですが、これは新春の掲示板に書いた言葉の一部です。
「枯木裏龍吟 髑髏裏眼睛」(こぼくりノりゅうぎん どくろりノがんせい)
つまり枯木のなかになにやら動きだす気配が生まれ、ドクロの凹んだ穴のような眼に瞳が宿った、というのです。
昨年の状況を思い返すと、嬉しいことはサッカーワールドカップでの日本チームの活躍くらい。コロナ禍は終わらないし、ウクライナを舞台に始まった戦争は終息の気配もなく、異常気象もますます苛烈になって、物価高も更に厳しくなりそうです。要するに夜が深まるようにどんどん暗くなり、冷え込んできたわけですが、今年はようやく陽の気が動きだし、死に体だった虚ろなドクロの眼にも、瞳が見えてきたということです。
当然これは今年の干支「癸(みずのと)卯(う)」からの判断です。「卯」は方角では東、時間でいえば午前六時ですから、暗闇にようやく朝日が差し込む時です。しかも「卯」は夜のあいだ閉めてあった門扉を開けようとする形ですから、きっと新たな光が差し込むでしょう。
「卯」は「ぼう」と読み、草冠を付けた「茆」も「ぼう」で、「しげる」あるいは「かや」の意味です。つまり、これは長年手を入れてこなかった野原の状態で、茅が茂った野原にはウサギが住む道理です。今年はその未開の土地を、開拓しようという年でもあります。
「癸」は元々「四方の水が地下に流れ入る」こと(「説文解字」)。手偏を付けた「揆」は「はかる」と訓みますが、皆が力を合わせることです。本当は上下も四方も力を合わせれば理想ですが、上が世の流れを読めないと民衆だけが結束して「一揆」が起こることになります。いずれにせよ今年は皆で力を合わせ、未開の分野を切り開く年回りということになります。
未開の分野とは何なのか、これが恐らく最も重要な問題でしょう。「安全保障」という声が聞こえそうですが、そうだとしても現政権が進めようとする方向が果たして正しいのでしょうか。戦後がようやく終わったかに見えましたが、新たな戦前が始まったようにも思えます。なにより国防に関わるような重大な決定が、国会に諮られず閣議決定されていくというやり方に戦前並みの拙速さと危うさを感じます。たとえば北朝鮮の無謀なミサイル発射に対し、抗議したと政府は発表しますが、じつは抗議する外交ルートもないため、北京の大使館を通じて、というやり方しかできません。対話のルートを持つことこそまずは大切なはずです。
未開の分野とは、国防や安全保障とはかぎりません。エネルギーとりわけ電力問題も、長年原発任せで放置されてきたと云えるでしょう。一時は事故被害の甚大さを見てやめようと思った原発が、CO2の問題やロシアによるエネルギー禁輸の措置があるとはいえ、いつのまにか稼働可能な期間が60年にまで延びている。これはあまりにも、杜撰ではないでしょうか。しかも休止期間はカウントしないなど、これまでの規制は何だったのかと、規制委員会にも信が措けなくなります。
昨年の「壬(みずのえ)寅(とら)」は、恐ろしいことが起きることも、「任」即ち人事が重要という指摘も、残念ながら的中してしまいました。年末までに4人の閣僚を更迭した岸田内閣は、よほどの「未開の荒れ地」を開拓しないかぎり、維持できなくなるような気がします。
皆で協力、というわけにはいきませんが、未開の分野を開拓するのは個人の目標としても有効だと思います。次の一歩をどこに下ろすのかは、「なりゆき」に任せるしかありませんが、とにかく一歩を踏みだし、まだ見ぬ新たな景色を楽しみたいものです。そういえば昨年は入院手術もあり、不自由な時間もありましたが、新たな習慣として就寝前の結跏趺坐が定着したようです。毎晩「髑髏裏の眼睛」になり、体もリセットして眠りに就けば、毎朝「明けましておめでとう」で目覚められます。
令和5癸卯歳元旦 玄侑宗久 謹誌