新しく出来たお墓を見に、裏の墓地に行ってきた。公孫樹(いちょう)も楢もすっかり葉を落とし、白っぽく見える木々を透かして朝日が眩しい。空には静かな有明の月。清寂、あるいは「浄」という言葉が相応しい。昔、「浄」という文字にはどうして「争」という文字が入るのか不思議だった。「争」が「あらそい」ではなく、収穫を終え、川で洗って立てかけた鍬のことだと知ったのは大学生の頃か。誤解したままふくらんでいた思いが一遍に凋み、それこそ「浄化」された記憶がある。ふと、「アブラクサスの祭」の「浄念」の名前に、誤解と正解の両方の思いが込められているような気がした。10年も経ってそんなことに気づくのだから生きつづけることは面白い。
2010年11月29日
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