日: 2007年10月14日

続・仙がいさん

テレビでは分かりにくかったと思うので、うちのお寺の聯を解説しておこう。「霊山の拈華、一場敗闕」(りょうぜんのねんげ、いちじょうはいけつ)「多子の分座、満面慚紅」(たしのぶんざ、まんめんざんこう)というのだが、霊山は当然お釈迦さまがよく説法なさっていた霊鷲山。そこで跡継ぎを決める際、釈尊はコンパラゲと呼ばれる花を弟子たちに示し、それを見てにっこり笑った摩訶迦葉に法を嗣がせたとされる(拈華微笑)。それを、仙がいさんは「一場敗闕」と云う。つまり大失敗だったというのである。しかも実際の嗣法の場面は、『五燈会元』などによれば、多子塔という塔の前で、釈尊が自分の椅子に分座することを摩訶迦葉に勧め(多子の分座)、さらに袈裟で覆ってひと目を憚りながら伝法したという。いったいぜんたい、どうしてそんな芝居がかった大仰なことをしたのか、きっと釈尊自身だって慚愧に堪えず真っ赤になって恥じているはずだ(満面の慚紅)と、仙がいさんは云いたいのである。こういった批判はなにも仙がいさんが初めてではなく、黄檗などもしたとされる。法とは、そんな秘密めいた大仰なものではなく、まっとうに修行すれば誰もが修めることのできるものだろう。だから、さあしっかり修行しようと、意気軒昂だった仙がい義梵は云いたかったのだろうと思う。なお「満面の慚紅」よりは「満面の慚惶」のほうが一般的である。