日: 2007年11月4日

知るを楽しむ

まもなく、「知るを楽しむ」の番組が放映になる。まだ3,4回目は編集中らしく、いろんな質問がディレクターからメイルで寄せられる。それにしてもインタビュー記事ならほぼ必ず校正させてもらえるのに、テレビはけっして事前に見せてはもらえないのは何故だろう。たぶん相手は、それによって一部の人の主観でねじまげられては困るから、とでも答えるのだろうが、やはりちょっとおかしい気がする。私がどのように放送されるかについて、私が事前にチェックできないというのは、変だ。おそらくそこには映像の強みが関係している。たとえ一部であっても、その発言をしたのは客観的事実と、誰にでも映る。文章と違って、そこを選んだディレクターの主観とは見えにくいのである。要は、映像作品を、ディレクターの作品として見るのは、かほどに難しいということだが、映像作品の功罪は明らかにディレクターやプロデューサーにある。いや、べつに言い訳しようというんじゃない。私はだんだん視るのが怖くなってきただけだ。いったいどんなことになっているのか、あ~、恐ろしい。