日: 2010年1月1日

新年のご挨拶 庚寅(かのえ・とら)

 新年明けましておめでとうございます。
 今年は、庚寅(かのえ・とら)。「こういん」という干支です。
「庚」(かのえ)には「継ぐ」「償う」さらに「更新する」といった意味があり、昨年の最大の変化である民主党政権について考えれば、その当初の志は継続すべきでありながら、罪や穢れはしっかり償い、新たな政権として更新していかなくてはならない、ということでしょう。
 罪や穢れというのが、はたして総理の政治資金規正法違反容疑のことなのか、小沢一郎氏のお金をめぐる問題なのか、あるいはもっと他に深くて大きい罪や穢れがあるのかどうかは知りませんが、それは自ら胸に手を当てて考えることでしょう。
 民主党が8月の選挙で大勝した背景には、「懲りない自民党を懲らしめてやろう」という湿った意志も大きくはたらいたのかもしれませんが、「チェンジはチェンジ」、この方向は継続すべきで、ただそのためにも償って更新することが大事ということです。
 「寅」のウ冠の下は手を合わせて約束する人の姿。「つつしむ」の意味で、寅はまた「演」にも通じることから、進展することでもありますから、「つつしんで進む」ということでしょうか。
 されば「庚寅」は、基本的には昨年の変化を継続すべきでありながら、まずは我が身の罪科を償い、更新すべきを更新しながら、つつしんで進め、ということになります。
 さて我が身を振り返ってみますと、去年は住職2年目であり、しかも小説にも力を入れ、「文学界」での連作短編のほかに講談社の『阿修羅』も書きました。また『アブラクサスの祭』の映画化などもあり、非常に多端な年であったと云えるでしょう。お寺の事業としても山林の整備のほかに集合納骨堂などを造っていたわけで、正直なところ力量を超える手広さであったと反省されます。自分が疲弊しているだけでなく、女房や家族の負担も大きすぎたように感じます。
 去年は私にとっても大きなチェンジの年だったわけですが、償い、つつしんで進み、更新しながら継続するためには、やはり講演を減らすべきなのでしょうね。
 そういうわけで、今年は虎のように地に足つけ、昨年の非を償いながらつつしんで進むつもりですので、宜しくご諒承くださいますよう。

2010年元旦  玄侑宗久 拝