九州国立博物館での鐘つきと講演を無事に終え、ようやく戻ってきた。16日は2800人、17日は3200人ほどの入場者があり、催しも大成功だったと云えるだろう。それにしても、およそ1300年前に鋳造されたという梵鐘を撞くのはやはり緊張する。年数だけでなく、ご一緒に撞いたのが萬壽寺の老師だったのも大きかった。
最初に老師が妙心寺の鐘をつき、その余韻がまだ幽かに残っているうちに私のほうの観世音寺の鐘を打ってしまった。それぞれの3発目はわざわざ重ねるように撞いたのだが、思ったほど唸りは生じなかった。午後の部では心して余韻が消えるのを待ってから撞いたつもりだが、どうだっただろう。今回のために伐ったと思える棕櫚の木の撞木の先には白い布カヴァーがつけられ、とても柔らかく佳い音が響いたと思う。昔から、鐘は聴く人に菩提心が生ずるように撞け、と云われるが、もしもあの鳴鐘を聴いて菩提心を起こした人がいたら僥倖である。それにしても、あの時間が現実離れして憶いだされるのはあの音のせいだろうか、それともあのほっこりと温かかった九州の気温のせいだろうか。