日: 2011年3月15日

東日本大震災

 とんでもないことになってしまった。ただ私は無事なので、ご安心いただきたい。安否を気遣うメイルをたくさんいただきながら、お返事がしきれない状況なので、ここでご報告したいと思う。お寺の山門横の塀が倒れ、六地蔵が倒れ、墓地もかなりやられたけれど、もっと北や浜側の被災状況をテレビで見るにつけ、そんなことは言ってられないと思う。なにより建物本体は無事だし、この町はまだライフラインが繋がっている。電話はしばらく通じなかったけれど、水、電気は止まらないため、原発の危険から逃れてきた人々が1500人ほど町の施設で過ごしている。ただこの滞在、長期化の様相であるため、避難所の毎日の暮らしが今後の大問題である。この辺りも震度5~6強に亘っており、本来なら被災地区なのだが、町の人々は自分の家の片付けもままならぬまま、炊き出しなどに協力し、物資も寄付している。これはかなり厳しい状況と云えるだろう。役場職員など徹夜の作業に追われたりしている。この状況でつくづく思うのは、電気や水の他のもう一つのライフライン、流通に頼った商売の脆さである。ガソリンもスーパーの品薄状態も、流通が損なわれた結果である。地場の食材を使った食品などはまだ供給されている。いずれにしても原発の状況がまだまだ流動的であり、予断を許さない。今回の問題の複雑さは、地震や津波などの被害に、原発や石油コンビナート、火力発電所などの危機が絡んでいることだろう。誰もすべての情報を握っている人はおらず、しかも分かった情報も隠そうとする。いわゆる「報道管制」である。三春町でも今日からスクリーニングができるようになった。原発地区からの避難民は今後も増えつづけるだろう。この災害は、ようやく始まったばかりなのだ。またなんと言っても南三陸町、山田町、石巻などの被害には眼を覆うが、大量死のご遺体の今後の扱いも気がかりだ。塩竃の和尚たちは火葬場でのボランティア読経を始めたらしいが、救援と供養とが同時に進められなくてはならない。いずれにしても未曾有の事態である。