日: 2012年3月25日

お彼岸が明けて

 いったいいつになったら「新年のご挨拶」から変わるのか、とお寺の総代さんに言われた。たしかに申し訳ないことであったが、まさか総代さんが見ているとは思わなかった。じつは昨日、昨年は中止したお寺の総代会が、2年ぶりにあったのである。
 境内に雪は残っているものの、光には確実に春の気配が色濃くなっている。それこそ「めでたい」季節である。
 それにしても、今年ほど梅の花が遅い年を、私は知らない。今年の三春は、間違いなく梅、桃、桜が一気に咲くだろう。まさに三春の春が、まもなくやってくるのである。
 ここ何日か、震災をめぐるドキュメンタリーを読んでいた。綾瀬まるさんの『暗い夜、星を数えて』(新潮社)と、千葉望さんの『共に在りて』(講談社)である。お二人とも、プロの作家であり、なおかつ今回の震災には当事者として関わることになった。それぞれ主に福島県と、岩手県陸前高田市の状況とを描いていらっしゃるのだが、不思議なことに、二人とも今回の震災の印象深い光景として、夜空の星を語っている。
 千葉さんは、1945年8月の終戦の日が真っ青な青空で記憶されているように、「2011年3月11日は、電気が失われた世界で仰いだ星空によって記憶される」のかもしれない、と書いている。綾瀬まるさんはその同じ空を、原発からほど近い新地町で見上げたのである。
 誠実な二人の眼が、今回の震災のじつに細かい現実を教えてくれる。
 一年が経ち、復興ばかり叫ばれるが、あのとき何が起きたのか、実際はまだまだ知らないのだと気づかされる。いや、たしか綾瀬さんが書いていたように、千人いれば千の災害の形があったということだ。
 明るい星がにわかに降りだした雪に隠れる、今日この頃である。
                                               2012,3/25