日: 2013年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

 福島県に住んでいると、めでたくないことも多いけれど、何はともあれ年は改まった。また今年も心機一転、佳い年にしたいと願う。思えばこんなふうに「一から出直し」ながら何かを継続していく生き方は、日本人の基本ソフトのような気がする。
 ともあれいつものように干支によって今年の動きを考えてみたい。今年は「癸巳(みずのと・み)」である。癸というのは「一揆」の「揆」と同様、「はかる」こと。はかるためには基準が必要だから、新たな基準を作って物事を進めることになるのだが、その基準作りを誤ると、どうにもこうにも動きがつかなくなり、遂には混乱が待ちかまえている。
 果たして新しい政権に妥当な基準づくりが可能かどうか、そこが分かれ目になるだろう。
 昨年元旦のご挨拶では、「壬(みずのえ)」は任ずべき人と野望の人々が共に輩出するややこしい年になると書いた。予測どおり、年末の選挙には過去最多の政党が乱立し、加えて政治への失望からか投票率も最低水準だった。はたしてこの選挙で、新たな基準を作る本当のリーダーが誕生したのかどうか、それが今後の日本の命運を大きく左右することになるだろう。
 今年は十二支では「巳(み)」年。これは文字通り、地中で冬眠していたヘビが目覚め、地上に這い出してくる象から来た文字だから、古い因習を已(や)める意味になる。
 福島県から見れば、古い因習とは明らかに「原子力の平和利用」だろうと思えるが、どうも新しい政権はそうは考えていない。そして「とにかく経済」という因習が、まだまだこの国を覆っているようなのである。
 新年なのに暗澹たる話になってしまったが、ここはやはり福島から一揆を起こすしかないのだろうと思う。「一揆」とは、無謀な反乱やプロテストなのではなく、あくまで現状の非道い基準を適正に修正しようとする自然なエネルギーの発露と理解されての命名である。
 ヘビのように永い眠りから目覚め、旧習を廃すべく新しい基準を掲げながら、しかも地に足着けて進みたいものだ。
 年末までに仕上げる予定だった短編は、年を跨いで継続しなくてはならない。やはり心機一転出直しながらも、きっちり継続していかなくてはならないことがたくさんありそうだ。むろん福島県の現状は、継続的な除染、農業・林業・漁業の復興、雇用作りをはじめ、何より生活上の安心の確保が引き続き大きな課題になる。15万人を超える自宅外居住者、そして県外に出たままの5万人以上の人々のことも気がかりである。
 今の政権に申し上げたいのは、一つ事故があればどれほど厄介で困難な事態が待ち受けているのか、つぶさに見てほしいということである。
 微力ではあるが、そのことを少しでも具体的に理解してもらえるよう、今年も歩きだしていこうと思う。

2013年癸巳歳元旦  玄侑宗久 謹白