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仮設住宅入居

 いよいよ三春町では、18日から富岡町民が仮設住宅に入ってくる。今日は入居のための鍵を渡したのだが、役場に行って状況を伺ってみた。(葛尾村は26日から入居)
 先日、人のいない仮設住宅に出かけたときは、ガラス戸から内部に置かれた水やインスタント食品、掃除道具などが見えた。全国から集まった救援物資などが平等に分けられ、予め配られていたのである。その時は見えなかった家電製品なども、すでに赤十字に集まった義援金で揃えられ、届けられたという。
 晴れて避難所を出られる、というわけだが、喜んでばかりはいられない。以前、空き家を造るな、と復興構想会議ではしつこいほど申し上げたのだが、結局当初の予定どおりの戸数、規格品が並んでしまった。たとえば集団居住型の住宅ならまだしも、これでは避難所に居たほうがいい、という人々がかなりいるのである。
 仮設住宅に入れば、食事は自分で作って自分たち(または独り)だけで食べ、むろんその食費も光熱費も自前になる。寂しいうえに、経済的にも心配である。
 なんとか避難所に居させてほしい、という人々には、いったいどう対処するのか。というと、むろん「説得する」しかないのである。
 まだ三春はマシなほうである。たとえば富岡町のための住宅280戸のうち、191戸の入居が決まっている。なかには600戸以上建てた仮設住宅の申し込みが、1割強しかないところもあるのだ。いったいこの空き家は、どうなってしまうのだろう。
 一方で、ホットスポットに指定され、苦渋の決断で今後引っ越す人々も見込まれるのだし、こうなると、同じ行政区の人々だけで一つのエリアを占めることは望まないほうがいいのかもしれない。
 仮設住宅の申し込みが少ないのは、当然、仕事を見つけた人などを中心に、民間アパートを借り上げてもらったからである。
 かくして弱者ばかりが避難所に残り、それもやがて、「みんな仮設住宅に移りました」と言いたい人々の見栄のために、無理矢理「説得され」、寂しく心細い生活に入るのだろうか。目安は「お盆前」とも言われている。
 こうなることは分かっていたはずである。極端な言い方かもしれないが、それは阪神淡路大震災のあとには分かっていた。これだけの高価な空き家をズラリと造って、誰が儲け、誰が喜んでいるのか、よくよく考えなくてはならなかったのだ。現地の被災者の事情に耳も傾けず、一様に「一刻も早く仮設に」と宣っていた人も同罪と云えるだろう。一刻も早く、と思っていた人々もむろんいたけれど、そう思っていない人々も初めから大勢いたのである。
 解体費も含めて1戸600万円。いったい合計でどれほどの無駄が生じたのか、現時点ではまだ分からないが、少なくとも仮設の立地市町村にすべて任せ、お金だけ渡してくれていたらと悔やまれてならない。もしかすると余ったお金で相当の見舞金だって出せたのではないか。国も赤十字も手当が遅すぎるなかでは、そう思うのは私だけではないはずである。